農業をする環境や立場はそれぞれによって異なります。新規就農や親元就農など全く何もない環境から農業に参入するか、すでに農業を営んでいる環境に入るかでも全く違ってきます。

今回は、独立して新規就農でも農家に生まれた子供でもなく、結婚した相手の実家が農業で義理の両親と同居などして農業をするという立場で考えていきます。実際私は農家に生まれた人間ですので、農家に婿入りした立場の本当の気持ちは正確には分かりません。

しかし想像はできます。

農家の息子に生まれたら農家の息子なりの苦労が、農家に婿に入ったら農家に婿に入った苦労があります。農家に婿いりするときに覚悟しなければいけないことを考えてみましょう。

もくじ

婿入りでも勤め人か一緒に農業かで全く違う

同居して別に仕事をしている場合と、同居して一緒に農業をすることは全く違います。一緒に仕事をするようになって初めて義理の両親の本性が分かったというのはよくある話です。

一緒にいる時間が長くなればなるほど本性がみえてきて仲は悪くなります。これは実の両親、義理の両親に違いはないかもしれません。

実の両親であってもずっと一緒に仕事をしていると話をしなくなります。言わなくても分かるだろうという推測で物事が進んでいきます。

例えば自分が除草剤をまいたにも関わらず、その行動が共有されていないため、親父が次の日に刈り払い機で草を刈っているとかです。

この場合、情報共有できていればそんなばかな状態にはなりませんが、いちいち言うのがめんどくさいのでわざわざ言わないのです。草を刈っている姿をみて絶望するのです。

このように実の親子でもコミュニケーションが足りていないのです。婿入りの場合はそれ以上に遠慮など様々な感情が複雑にからむためなお一層難しくなってしまいます。

農家という環境

婿いりして農業をすることに限りませんが、家族で農業をするとなると会社勤めとは違った農家独特の環境があります。とても閉鎖された環境になります。

社会環境と異なるため、多数の人間がいるわけでもありませんし、閉ざされた環境になってしまします。親方である義理の父親の価値観がそのままその家の方針となるため、その人次第でどうにでもなってしまいます。

上手くいく関係ならいいでしょうが、話を聞くと多くは悩みがつきないことが多いようです。

例えば仕事を終わる時間について。農家はタイムカードを押すわけではなく仕事を終えるのも自分で決めるでしょうから、いつ帰るかは自分次第になってきそうです。

そのようなとき、義理の親が仕事をしていれば先に帰ることは難しいです。会社で上司と部下のような関係と同じです。「お先に失礼します」と言えない暗黙の了解のようなものがあるのです。

実の親子でも一緒に仕事するのは難しい

農業を親子でする場合もありますが、実の親子であっても毎日顔を合わせるのはきついです。私であればなるべく一緒の圃場で仕事はしません。

収穫作業など一緒にせざる得ない場合は一緒にやりますが、それ以外の場合は圃場をわけて仕事しています。つまりなるべく一緒に仕事しないようにするのです。

見回りなどである圃場にいったとき、たまたまそこに親父がいようものならその圃場の見回りは後まわしにして次にいきます。けれどこのなるべく距離をあけるということが円満にいくひけつかなと思うのです。

仕事の内容が何も分からない時は、教えてもらう必要があるでしょう。しかし、何年もやっていると仕事を覚えて自分のやり方や考え方がでてきます。

それは必ずしも同じとは限らないので衝突することもたびたびあります。そのためなるべく別々にできることはそれぞれ分かれて仕事をしています。

農家といってもそれぞれ全く違う

農家に婿入りすることになり一緒に仕事をすることになった場合、義理父、義理母ともいろいろな人がいます。性格はいろいろです。合う合わないもあるでしょうし、全く受け付けない場合もあるかもしれません。

それでも農家という環境はずっと一緒なので最初によく考えなければなりません。完全同居ならなおさらずっと一緒です。二世帯住宅や敷地内同居など多少離れていれば違うかもしれませんが基本人生一緒になると考えてください。

所詮他人

家族といっても所詮は他人です。離れていれば円満にいくことも近い距離で過ごせば他人のあらばかりが目立ちます。そして所詮は他人なので、いら立ちがなくなることはありません。

完全同居の場合は、風呂の順番にも気を使わなければならないこともあります。そこの親が昔気質な家の場合は自由に風呂に入ることもできないのです。

家々ごとにざっくりとしたきまりがあるでしょうから。

戦前のような思考をもった人間には要注意

農家に婿に行くときに気を付けなければいけないことは、農家といってもいろいろですが、なかには戦前のような家父長制度の考えをいまだにもった家もあるのです。

父に絶対の権力があり、時代が戦前で止まっているような家が本当にあるのです。車も電化製品もなく道路も舗装されていないような時代の感覚で生きているのです。

毎日6時前から畑に行って日が沈むころに家に帰ってくるのです。昔の日本人は4時ころ起きるのが当たり前だったらしく、仕事の早さなんかを隣近所と無意味に競争していたりします。

この生活が当たり前で文明が進んだ現在の日本を無視していて驚くばかりです。また、同居家族も洗脳されてしまっていてこれがあたり前と思ってしまっているから驚くばかりです。

とにかく話になりませんから、話をしても無駄です。

実際、このような農家は減っていると思われますが、令和の時代でさえ残っています。ただこのような農家は急速に減っていくと思われます。

こうしたところに婿に行ってしまうと本当に大変なので行く前に考えなければいけません。

お金の問題がからむとほんとややこしい

お金の話は人となかなかしにくいものです。そのため、他の話はでてきますが、お金の話はなかなかでてきにくいです。それが婿いりする立場であればなおさら難しいのではないかと想像します。

農業は自営業です。稼ぐも貧乏になるのも自分次第です。技術があったり、大規模で収量が多かったり、独自のルートを開拓していたりそこそこ稼いでいる農家はいます。

反対に自営業という自覚もなければ、経営感覚もない、技術もない、いいものを生産できない収穫量も上げられない、ご飯たべていけるのだろうかという農家もいます。

自営業で自由に経営でき裁量が試されるのが農業のいいところなのに、婿という立場ではお金のことはどう話しているのだろうと疑問に思います。

まとめ

農家というのは独特の環境です。昔から農家というのはいたので時代に取り残されたような農家もいます。もちろん現代の環境にあわせた先進的な農家もいます。

経営感覚に優れた先進的農家や大規模経営農家などに婿に行く場合と戦前のような価値観をもった農家に婿に行くのとではまるで違います。後者は苦労が半端ではなくなってしまいます。

また、農家に婿にいくとその家の独自のルールがあります。

その人の本性はすぐには分かりません。表面上の軽い付き合いでは表の顔だけでよく分からないのです。ずっと一緒に暮らして長い時間仕事をともにしてはじめて分かることもあります。

農家という狭い環境で後から逃げ道を見つけることは至難の業です。婿入りする前に覚悟してからいくといいと思います。