農家に嫁に行ったりするときに高確率で出てくる会話があります。それが「農業は手伝わなくてもいいから」という発言です。主に同居や敷地内同居で出てくる会話かと思います。
結論からいうと一緒に住んで生活を共にしている時点で、手伝わなくてもいいと本気で言っている人はいません。
「農業は手伝わなくてもいいよ」という本心は「今すぐにはやらなくてもいずれやってもらうかもしれないよ」という意味が込められています。
もくじ
農家は高確率で昭和脳状態
基本的に農家は田舎や地方で営んでいることが多いです。また高齢化しています。そのような地方の環境で農業をしているところがどんな環境かというと基本的には昭和脳に侵されている人が多数派の環境です。
体育会系のド根性精神
昭和脳というのは体育会系ド根性精神を基本とします。
体育会系ド根性精神とは「考えている暇があったらとにかく働け」という精神です。農業をしようとして段取りを考えていると「さぼってねぇでとにかく動け」となります。
昭和脳にとって「考える」ということは働くことにはなりません。動いていなければ働いているようには見えないからです。
地域での草刈作業などではボ~とつっ立っていてはいけません。とにかく動いていないといけません。動いていれば働いているように見えるからです。
逆に言えば動いているように見せかけてサボっていてもいいわけです。働いているふりをしていてもいいのです。ただ動いていれば「がんばってんなー」となります。
サッカーをしていても普段は体力を温存してここぞというときに本気を出してはいけません。こんなに体力を消耗してそれでも頑張っているんだと思われるようにしなければならないのです。
ド根性精神でがんばり周りに評価され一体感になり始めて認めてもらうのです。このように自分がどうするかという主体的で自立心をもつことより、和を尊重して根性を見せがんばっている姿を見せることの方が重要になってきます。
優先順位は決まっている
農業に限らず日本では仕事、会社への忠誠が一番と決まっています。家庭よりも仕事が大事になります。休み予定で子供の運動会があったとして、急に会社から呼ばれても会社に行かなければいけまん。
上司や同僚に迷惑がかかってしまうからです。「今日は子供の大事な運動会があるので休日出勤はできません」と言ってしまったらその後会社にはいずらくなってしまいます。そしてそういう圧力をかけられます。
農家にとって農業をすることが最優先です。それでも建前上は「農作業をやらなくていいからね」と言ってきます。それを真に受けてはいけません。本音と建て前がありますから察知しないといけないのです。
農業を最優先に考えなくてはいけないのです。
昔から農作業を手伝うのが当たり前
農作業をするも何も農作業をするのが当たり前の時代で育った世代では、そもそも農作業をしないという選択がありません。世間の風潮で今時農業をしてもらうのは珍しいことを知っていてもそんなことは別にどうでもいいのです。
「自分がしてきたのだから同じようのやらせる」ただそれだけです。
「農業をしなくていいからね」という言葉の意味はありません。
「やらなくていいよ」を真に受けてはいけない
表と裏の顔があるのが人間です。
例えば家事をしていて「お皿は私が洗うから何もしなくていいからね」と表向きは言われることがあるかと思いますが、本当に何もしないといろいろなところで陰口を言われるのは確実です。
隣近所やら親戚やらいろいろなところで「何もしなくていいと言ったら本当に何もしないんだよ。ほんとにやんなっちゃうよね」といいふらされることになります。
農家仲間や隣近所に話をされたら、地域中に広まってしまうことにもなりかねませんので注意が必要です。
情報網はテレビ・新聞
地方の田舎で農家にいくほどテレビ・新聞の影響は強くなります。ネットは皆無だったりします。特にテレビの影響を強く受けています。つまらないテレビがこのところますますつまらなくなっています。
特につまらない人間がただ騒ぎ立てる番組や商品の順位を当てる番組など増えているような気がします。テレビ番組自体が企業の広告のようになっている気がするのです。
番組の予算も減っているのか益々つまらなさに拍車がかかっている気がします。
テレビは優越感を起こさせます。例えば万引きGメンや経済的に大変な場面を出すことによって見ている視聴者を自分よりひどい。自分はまだましなんだなと思わせます。
また主体性をなくさせます。テレビは受け身の媒体です。それだけで思考停止させます。欲望をかきたていらないものを売りつけるように促します。
立派な消費者が誕生します。貧しい番組とは対極に自分には届かないおお金持ちの番組もやったります。わざわざやっているような気がします。
自分には到底届かないような豪邸を写し高級車やブランド物を見せびらかすという内容です。これらは自虐性を刺激させてなんらかの意図があるのかもしれません。
くそみたいな内容で大騒ぎし、それを真に受けたバカがこれでいいんだと面白がりいじめや自殺にもつながっているかもしれません。
こうした価値のないメディアをみれば見るほど思考は停止していくようなきがします。
娯楽の少ない田舎では特にテレビの悪影響が多いかもしれません。
まとめ
全てとは言いませんが田舎の農村に限っては「農業はしなくていいからね」という言葉の意味はほとんどありません。同居している状態だとなおさらです。
また、農業をするのが当たり前の世代ではほぼ100%「農業はしなくていいからね」の言葉の意味はありません。「今すぐは農業はやらなくてもいいけどいずれやってもらうかもしれないよ」という意味も含まれていることも忘れてはいけません。