30代、40代ともなれば、ある程度社会を経験している世代になります。住宅を購入したり、結婚して子供が成長していたりするなど、多忙な生活をしているかもしれません。

そのような働き盛りの世代では、仕事の重圧やストレスを抱えている場合も多いでしょう。そのため、脱サラして「ストレスフリーな農業に転職したい」と考える人がいます。

ただ、農業には農業ならではの問題があり、田舎で農業をする場合には、田舎ならではのルールがあります。

農業の世界は、70~80代が現役です。50~60代は中堅、若手の部類に入ります。そのため、30~40代は、新人のようなものです。

それでは、30~40代の世代が、脱サラして農業に転職する前に知っておかなければいけないことについて考えていきましょう。

農業に転職する30代40代が増えている

30~40代で突如「脱サラして農業に転職したい」と考える人がいます。

それくらいの年齢になると責任ある立場になり、激務が続いている場合もあるでしょう。そのような人の中には、ストレスに苦しむ人が、農業に転職したいと考えることがあります。

農業は、会社勤めのように決まった時間に出勤し、毎月給与所得によって生活するわけではありません。農業は自然に左右され、お金を稼げるように自ら考えて経営しなければいけません。

毎月給料が支払われることはありません。お金になるような作物をたくさん作ることができればお金になるし、それが出来なければお金にならないだけです。

農業はストレスフリーな仕事なのか

「農業に癒しを求める」という考え方ですが、ずっとストレスの多い職場環境を続けてきて、畑仕事をすれば癒しを感じるかもしれません。

それは一時的な気持ちかもしれませんし、お金を稼げなければ癒しの時間とは思えないでしょう。また、ずっとその仕事が続くことが、ストレスフリーになるのかどうかを考えなければいけません。

少しの期間であれば、土に触れ合い自然の中で思い切り体を動かすことで、リフレッシュできるでしょう。ただ、脱サラして農業で飯を食べていくということは、継続的にお金を稼ぎ、農業を続けていくことを意味します。

農業を始めたころは、すべてが目新しくて新鮮に感じるかもしれません。ただ、毎日それが続くと新鮮さはなくなります。これは、農業に限らず、どのようなことでも同じでしょう。

生活に一切関係なく、趣味で家庭菜園をして自分で食べているだけなら、癒しの時間が続くかもしれません。自分で作った作物を販売して、お金に換える農業をしていれば、癒しとは全く違うはずです。

多くの場合、家庭菜園で自分が食べる野菜と、消費者に販売してお金を得るための野菜作りは違います。

日本の教育とサラリーマン

日本では、多くの人が会社勤めとして仕事をします。サラリーマン生活でのストレスに耐えることで、給料をもらう生活に嫌気がさす場合もあるでしょう。日本に生まれたら大部分の人は、学校に入り義務教育を受けます。

さらに、社会に出て理不尽な想いをしても耐えられるような従順な人間になるように「我慢」「忍耐」「協調性」などを教育されて生きていきます。

そのため、自分の頭で考えて疑問をもったり、「苦しい、逃げだしたい」と考えたりすることができないようになります。学生生活を終え、サラリーマンとなったときに、「すぐに会社を辞めるような人間は駄目なやつだ」というふうに教育されているためです。

ただ、本来は正解なんてないのです。本当にやりたくないことを我慢してやる必要はないし、やりたいことを我慢してやらない理由もないのです。自分が本当にやりたいことをやればいいのです。

レールから外れることが難しい日本

日本では、一度レールからはずれてドロップアウトしたら、人生を這い上がるのに苦労することになります。決められた価値観が合わないと考えたり、馴染めなかったりする人間は、学校でも会社でも苦痛を味わうことになります。

さらに、我慢や忍耐を強く刷り込まれているため、「学校や会社に馴染めない自分は駄目な人間だ」と自分を攻めることになります。

それだけでなく、その価値基準がすべてではないのに、「その基準から外れた自分はおかしい」と思うようになります。なぜならその価値基準は、さまざまなところに深く染みわたっているからです。

自分がどうしたいかを考えて行動することが困難になり、親や世間の常識や自分自身の思い込みを過剰に気にして生きていくことになります。

常に周りの目を気にする日本人

日本では、従順に規律を守る人間が重宝されます。義務教育では、「周りと違うことをしては駄目だ」という教育を受けて育ちます。そのため、常に周りの目を気にする人間に成長し、周りとの空気を読むことがうまく、要領のいい人間が社会で評価されていきます。

社会にうまく適応できない人間や空気を読むことができない人間は、心を病んだりレールからはずれたりして再生が難しくなります。

多くの人は社会の中で、「こうしなければいけない」という思い込みに従って生きていきます。そのため、本来の自分の個性を殺して生きていくのが当たり前になります。「自分には無限の可能性がある」ということを、心の奥深くにしまう人生を生きることになります。

その結果、多くの人は「なるべくいい学校に入ってなるべくいい会社に就職することが良い人生だ」と錯覚することになります。

サラリーマン生活に疑問を抱く人々

しかしながら、そうした洗脳教育を受けて社会で仕事をしているうちに「何か変だ」と考える人が出てきます。このような思考で農業を見てみると、「農業は、なんだか牧歌的で自由そうだな。ストレスがなさそうだ」と考えるようになります。

農業の場合は、学歴が必要ありません。中学中退でも高校中退でも誰でも農業はできます。また、自分で農業をしていく上では、「こうしなければいけない」というルールが存在しません。

あらゆることを自分で決めるのが農業

また、農業では、人の顔色をうかがったり、人に合わせる必要はありません。上司に命令されることも怒られることもありません。

経験や勘などは必要になりますが、「どうすれば収量を上げ、売上を上げることができるのか」や「農業で生きていくには、何をすればいいか」などの工夫や考え方が必要になります。

農業でのストレスといえば、お金にならないことのストレスや、自然災害でのストレスなどになるでしょう。ただ、お金になるかならないかは、その人の考え方や、やり方次第で変わってきます。

他にも、「農業は朝早くから夜遅くまで、休みなく働いて金にもならない」と思っている人がいるでしょう。

確かに、そのような人もいるかもしれません。ただ実際には、やり方次第だったり、時間の使い方がうまくできていなかったりします。働いても働いても金にならないというのは、その人の仕事の仕方に何か問題があるからそうなっているだけです。

そもそもその土地で、その作物を作ることに問題があるのかもしれません。違う作物、違う品種の方がいいのかもしれません。出荷先に問題があるのかもしれません。違う売り方があるのかもしれません。栽培面積に問題があるのかもしれません。多すぎるのかもしれませんし、少なすぎるのかもしれません。

このように、いろいろな見方ができるでしょう。

農業は稼ぐのもストレスになるのも自分次第

農業には、米、野菜、果物、花、畜産など種類がありますが、必ずしも朝早くから夜遅くまでやる必要はありません。技術がなければいくら働いてもお金にならないのが農業です。一方で極端ですが技術があれば、技術がない人より半分の面積、半分の労働時間で同じだけ稼ぐこともありえます。

要は、同じ面積で栽培していても面積辺りの収穫量は人によって異なります。これによって面積辺りの収入に違いが出るのです。それだけでなく、販売を他人任せの人と独自の販路を持っている人とでは、面積辺りの収入にさらに大きく違いがでます。

そのため農業は、「栽培管理の工夫」「品質を上げるための工夫」「流通や販売の工夫」などをすることによって同じ面積でも何倍もの違いが出てくるのです。

農業では、忙しい時期はなかなか休めないときがあります。そのようなときは、休日を作るのが難しいです。一方で時期により休みを自由に決めたり、ある程度長期で休んだりすることもできます。1年中忙しいわけではありません。

そのため、「農業は休みがない」のではなくて「休みを自分で決められるのに、自分で決めることが出来ていない」ともいえます。実際は、時間の使い方が自由なのが、農業の最大のメリットです。

農業は泥だらけで汚い仕事なのか

他にも「農業は泥だらけになり汚い」という見方があります。昔の農業は、そのようなことがあったかもしれません。しかし現実には、そのような泥だらけの人はあまりいません。

水田などは、機械化が進んでいるため、汚れることなく仕事ができますし、果樹栽培でも泥だらけになることはあまりありません。土が体につくとか、機械をいじっていてオイルがつくとか汚れることはありますが、実際はその程度です。

農業をイメージする人の多くは、昔のイメージが根強いかもしれません。実際、肥料や堆肥なども臭いがほとんどしないものが多いです。

農業は、工夫の仕方がいくらでもある

農業の場合、自分で工夫して作業することができます。例えば作物に肥料を与える場合は、ある程度与える時期や量などの決まりがあります。ただ、そうしなければいけないわけでもないし、それが正解であるともいえません。

「なんとなく経験上そのようにやっている」「昔からこのようにやってきた」ということがあります。

このように農業の場合は、あいまいなことが多いです。そのため、「なぜ、この時期に肥料をやるのか」「肥料を与えない場合はどうなるのか」「なぜこれくらいの量を与えることになっているのか」など、いくらでも疑問に思うことが出てきます。

例えば、肥料を何度かに分けて与える「追肥」という作業があります。私は果樹栽培をしていますが、枝の伸び方や木の状態を見て「今回は、養分が足りてそうなのでやらなくてもいいか」と判断したことがあります。

その結果、数万円分の肥料代の経費削減につながりました。肥料を抜かすことは心細い面もありましたが、何の問題もありませんでした。むしろ、あえてやらないほうが肥料が過剰かどうかの視点からは良かったかもしれません。それだけでなく、何もしないので労力はゼロです。

農業では常識を疑うことにより無駄な経費を削減することが出来ます。栽培管理だけではなく、農業全般でこのように考えることができるでしょう。

例えば以下のようなことです。

・なぜ土を耕すのか、耕さないとどうなるのか

・肥料の量が決められているけど、これだけ必要なのか、この時期に肥料を与えないとどうなるのか

・なぜこの品種を栽培するのか、違う品種だとどうなるのか

・なぜ市場に出荷するのか、市場以外の販路を考えるとどうなるのか

農業の場合、「昔からこのようにやってきた」という意識が強いです。そしてそのように言う人は自分で大きなこだわりをもっている場合があります。

ただ私が感じたのは、「その大きなこだわりからはずれたことをしても、実際大した問題ではない」ということです。農家は、職人気質であり年配者も多いことから、自分の栽培技術には大きな自信をもっています。さらに頭が凝り固まっており既成概念にとらわれている面も多くあります。

しかし実際には、「ある程度の決まりはあるが、異なる方法を試してもそれほど問題ない」「むしろ大きく変えていったほうがいい」ということもあります。

それは、生産管理であったり流通や販売であったりします。要は昔からやっている人の目線とは違う、脱サラ組や30代、40代の若い感性が農業にとても生かせるという事実です。

お金だけではない農業に転職することの目的

農業では、お金を稼ぐだけが目的でない場合があります。農業を志す人のなかには、「夢中で雑草を抜いていると心が軽くなってストレスが軽減される」「土と触れ合っていると疲れがとれる」という方がいます。

確かに、自然の中、土の上で仕事をしているとストレスはかかりにくいです。むしろ大地からエネルギーを吸収できているのかもしれません。

農業では、体力を使う仕事があります。一方で、それほど体を使わない仕事もあります。ただ、体を思いきり使う仕事ほど気分がよくなる傾向にあります。

このような仕事をする前は、面倒くさいと感じるものです。例えば堆肥を畑にまく仕事があります。機械を使えば、運転しているだけであっという間に終わります。トラクターなどの機械に乗っているだけなので疲れないし、それほど体も動かしません。

一方で、私はこれらの機械がなかったときに、堆肥を運搬車にのせ、それをシャベルでまく作業をしたことがあります。このときは、4トントラックで堆肥を運んでもらい、一旦地面に落としてもらいました。そこから私は、シャベルで運搬車にのせて畑にまいていくのです。

当然ながら機械でなく手作業のため、それをのせるのは重労働で腰も疲れる作業です。この仕事をやる前から「やりたくないな。面倒くさいな」と思うのです。

ただ、実際体を思い切り使うと、休憩のときに妙な充実感があるのです。腕や足が筋肉痛になることが心地いいのです。このように一見面倒な作業なのですが、思い切り体を動かすのは心にも体にもいいのです。

人は本能で自然の中で土と触れ合って体を動かすことが、心にも体にもいいと知っているのかもしれません。

まとめ

日本では、大多数の人が学校を卒業して会社に就職することを当たり前のように選択して生きていきます。そのような人の中には、脱サラして「農業に転職したい」と考える人もいるようです。

農業は、会社勤めのような「当たり前の生き方」とは違うからでしょう。会社員の常識を刷り込まれて日常を生きている人には、農業が魅力的に見えるのかもしれません。

65歳以上の農業従事者の割合が61%を超える農業業界では、30代、40代が社会で培ってきた経験は大変役に立ちます。農業は遅れている部分もあるので、今までの社会経験を農業に生かすことができます。

これらを知ったうえで農業をすれば、脱サラした経験を農業経営に生かすことも十分可能なのです。